ハロプロDD soramiの囁き

ハロプロについて、あれこれと思いを綴ります。

Juice=Juiceの二つのMVと今後のマネジメントについてーハロプロ20周年を超えての新しい未来のためにー

 海外ツアーの発表後、メンバーが2名増え、一方で、宮本が声が出なくなるも、その怪我の功名で、新メンバーと今までのメンバーとの一体感が高まり、その後、宮本が回復することで、海外ツアーに間に合い、地震やテロなど不測の事態もあったが、無事終了した矢先に、追加の海外ツアーとして南米の4か所を回ることが発表された。
 一方で配信が延期されていた「fiesta fiesta」のMVが、海外ツアーの映像も付け加えられたショートverとして発表され、また、「サヴァサヴァ」のMVも、フランスの映像が追加された、新しいMVとしてやはりショートverで発表された。
 本編が有料化されるとともに、ショートverが無料で発表される形は、以前に予測したとおりになったが、今回の二つのMVをどう考えるべきなのか。

 

 ヲタの間では不評のようだが、今回の二つのMVは、完全に海外向け仕様、更には初心者向けとして作られていると考えるべきだろう。そうでないと、あれほど隙間もなく、文字や映像効果を詰め込むというような、作られ方は、従来のハロプロのMVの精神とは異質すぎる。
 西洋流では空間恐怖があるため、空間を隙間なく埋めるという形で、造形が行われるというのは、ゴチック様式の教会を見ても分かる通りであるが(そういえばドイツでは、教会の前でメンバーの集合写真が撮られていたが、それは何かの象徴であったのかもしれない)、日本ではむしろ間を活かす方向で、造形が行われる。そしてその間において、受け手側が想像で、間の部分を埋めるという形で、創作が共同作業として完結するのである。そういう点で、日本の造形は、受け手の創造力次第で、膨らんだり、縮んだりもするし、受け手の参加なくしては、力を発揮しないものである。
 そういう日本人からすれば、西洋の造形は、作り手の自己主張が強く、自己完結しているために、うるさく感じたり、自由度が乏しいように思われたりするのである。だから日本のヲタクからすれば、評価できないMVということになるのである。

 

 ただし、近年のハロプロのMVは、以前に比べれば、はるかに西洋的にごちゃごちゃするようにはなってきていたのも確かである。文字を入れるのもアンジュルムの「恋ならとっくに始まっている」あたりから始まり、モーニング娘16。の「泡沫サタデーナイト」、Juiceなら「明日やろうはバカやろう」など、次々に登場し、「地団駄ダンス」では、更に映像効果も付け加わり、くどくなったのは確かである。
 こうなったのは技術の発達により、映像効果が以前に比べ、容易にかつ安価に入れられるようになった結果であろう。そしてその容易さ、安価さは、安易さにつながる。そして、入れる必要性やが必ずしもなくても、やたら映像効果を入れることにこだわり、やがては入れる目的を考えることもなく、それを入れること自体が目的化し、作り手側の自己満足に終わってしまうという流れになるのである。 そういう点では、ハロプロのMVも危うい方向へと進んでいるとも考えられる。様々な映像監督に発注しているのであろうが、もしかすると、このやたら文字を入れたりするのは特定の監督もしくは編集者なのかもしれない。いずれにしても、ハロプロのMVの表現方法や編集の推移については、いずれゆっくりと整理したいと考えている。

 

 それはともかくとして、今回のJuiceの二つのMVは、入れている文字がローマ字であり、しかも画面に対してかなり大きい、という点からして、明らかに外国人に対して、その部分を歌わせようとする、意図があると思われる。
 そしてそれは、今回のメキシコ、フランスといったラテン系の民族相手の公演での、観衆の反応として、歌への同調=一緒に歌う場面が多かったからだと考えられる。だから、今年末の南米公演の追加とこの二つのMVの編集と公開は、連動したものであるといえよう。
 ラテン系の外国人への受けを踏まえて、一気にその方向へと進んでいる流れに対して、攻める意識は必要だとは思うが、ラテン系(更には東南アジア系も含む)を意識した派手なMVは、Juiceの豊かな可能性を、一方向へとゆがめてしまう危険性があるということに対しても、スタッフが自覚的であってほしいと思う。
 彼女たちの可能性とは具体的に言えば、ラテン系ではない、アングロサクソン系のイギリスやドイツ人の反応や、日本人の年配のヲタクからの批評といったことを踏まえての、刹那的なノリではない、長い時間をかけて愛好されるような、大人の嗜好に耐え得るという方向性の開拓である。
 Juiceには「ブラックバタフライ」や「背伸び」といった、若い小娘が背伸びをしたような、大人向きの曲があり、それがメンバーの年齢の高まりと経験の深まりの中で、大人のムード音楽的な雰囲気を漂わせて歌えるようになれば、アダルトで落ち着いた紳士淑女にも評価されるのではないかと思う。そして彼女たちの実力から行けば、むしろその線を狙っていく方が、他のハロプロのグループとの差別化ができて、欧米や日本でも高い評価を受けるのではないかと思う。

 

 実はこの路線は、℃-uteが昨年発表した、「何故 人は争うんだろう?」「人生はSTEP!」「Summer Wind」の三作から顕著になった方向であり、そのまま彼女たちが、アイドルから、アダルトなグループへと進むという流れが用意されていたにも拘らず、彼女たちがアイドルとして終わることを望んだ結果、とりあえずは消え去ってしまったハロプロの一つの未来形である。そして、このとりあえずは消え去ったが、可能性としては確実に存在し、かつ、達成すべき路線は、Juiceによってこそ、達成されるべきだと考える。このグループから25歳で卒業するメンバーを出さないことが、20周年を超えた、新たなハロプロの未来を作ることに繋がることを確信している。

 

 今回のワールドツアーが彼女たちを、そういう未来へと進めてくれることを心から祈念するとともに、事務所においては、今の受けを見ての、近視眼的な対応だけで終わることなく、彼女たちのより大きな可能性の芽を伸ばす方向での、マネージメントやプロモートをお願いしたい。


 
 なお、Juiceが開拓し、より活発化してくれるであろう未来のワールドツアーを、受け継いでいくのは、日本的でありながら国際化してきているkawaiiを体現し、かつ表現できるカントリーガールズと、アダルト路線を追求できるだけの実力を持つこぶしファクトリーではないかと考えている。