ハロプロDD soramiの囁き

ハロプロについて、あれこれと思いを綴ります。

元モーニング娘。という肩書の持つ意味とは

   元モーニング娘。のリーダーでもあった、吉澤ひとみが、酒酔い運転とひき逃げで逮捕された時間については、マスメデイアでも散々取り上げていたし、またその事実関係については、よくわからない点もあるので、そのこと自体は問題にはしない。彼女はもはや芸能界を引退したし、今後は贖罪を丁寧に果たしていってほしいと、願うだけである。

 

 今回取り上げたいことは、日本における著名集団に所属していた者が、そこから引退や卒業や離脱をした後、何十年後かに問題行動を起こした際に、元~の誰それという言い方がマスメデイアでされ、かつ、その著名集団の長なり成員が、そのことについて、マスメデイアを通じて、謝罪なりコメントを出すということ、出さないことに対して非難する意見が出るをことをどう考えるかということである。もちろん、今回のことに関しては、彼女は事務所の所属下にあったことは確かであり、事務所がコメントを出したりすることは、ある程度の管理責任がある以上、やむを得ないと考える。

 しかし、元モーニング娘。のメンバーや現ハロプロのリーダーやモーニング娘。リーダーまでも、何らかのコメントを示す必要があるのかということである。特に今回話を複雑にしているのは、ハロプロ20周年ということで、現役メンバーが同じ舞台に立ったりしているということがあるからである。この点については全く無関係だからと決め込みにくい点があるのは確かである。しかし、こういうことがなくても、前記したようなことは頻繁に起こっていることである。

 

 そもそも、なぜ、現所属の者でもない者に対して、元~という形でメディアが伝えるかというと、日本では基本的に個人よりも、その所属集団の方が重視され、個人はその所属集団の管理責任の下で動くということが前提されているからであり、その個人の行動は仕事、プライベート関係なく、その所属集団の監督責任の下で行われているという考え方が一般化しているからである。簡単に言えば、所属集団が親や一族であり、その成員は子供という考え方である。子供は当然24時間子供であり、親の責任は24時間、かつ、その子供が生きている限り続くという、無限責任を負っているという考え方である。実際に日本人は名を名乗るにあたっても、姓が先で名が後の形になっていて、その一族の中の一人であるという立場をとっており、それは言い換えれば、個人としては自立していないということの証でもある。


 この観点に立てば、日本では、個人がある集団に所属することは、それが本人に選択肢のない縁的な集団であろうが、契約に基づく職能的な集団であろうが、区別することなく、全て縁的な集団に所属するとみなして、その個人に全ての責任を負わせるのではなく、その所属先にも責任の一端を担わせるという、責任分担のシステムが存在しているべきであろう。
 そして、この責任分担のシステムは、その所属先がより血縁に近づくほど、その集団に対して、批判が強まる傾向がある。なぜなら、長年共に生活している方が影響も大きく、その分、監督責任の比率が高まると考えられているからである。
 更にはその集団が売れていたり、好調であるほど、それに対して不満を抱いている者は、この時とばかりに、その集団の責任を言い立てて、その足を引っ張ろうとする。だから例えば、著名なタレントの子供が犯罪を犯すと、よってたかってそのタレントの批判をし、日頃の不満のうっぷんを晴らしているのである。
 またマスメディアは、平等主義や反権力を自分達の旗印にしているので、そういう不満を殊更に取り上げることで、人気や力を持つ集団の力をそごうとするし、それにより、自分達が正義の味方であるという立場を守っているという面もある。そういう点では、所属集団から問題者を出すことは権力闘争において、不利に働くということになるのである。
 だからこそ、問題者を出した集団の方は、権力闘争において不利にならないために、コメントを出したり、謝罪したりするのであり、これらはあくまでも、形式的なものである。そして内容としても、1、世間を騒がせたことを謝る。2、その者と自分達は、もはや無関係である(もう無関係になる)ということを示す。3、今後とも所属員に対しては注意を呼び掛けていく。という3点が提示され、終りとされる。


 結局、大人になってまでも、その所属集団の管理下に置かれる形でしか、その個人というものの存在が認められていない、日本の個人という脆弱な存在と、それで構わないと考えている、責任を個人として取りたくない多くの日本人が、こういう形式を生み出したというべきであろう。
 だから逆に、日本でも個人として能力や実力がずば抜けている者は、もはや所属している集団の名前では呼ばれない。イチローマー君を始めとして、本当のタレントは個人名でしか呼ばれないものだ。そういう点では元モーニング娘。の~と呼ばれるのは、モーニング娘。であることを超えられなかったせいでもある。

 

 今後、鈴木愛理や田村芽美は、どう呼ばれるようになるのか。できれば個人名で呼ばれる存在になってほしいと願う。