ハロプロDD soramiの囁き

ハロプロについて、あれこれと思いを綴ります。

ハロプロの土台とはーハロプロ20周年オーデションの結果とこぶしファクトリー3名の脱退の共通性についてー

 abemaTVで放映された、ハロプロ20周年オーデションは、合格者が0で、その不合格者に対しては、研修生になるかどうかの選択肢が与えられ、1名以外が研修生を志望したという結果になった。


 この結果を見て、最初から研修生を作るためのオーデションに過ぎなかったとか、abemaTVに失礼だろうとか、妙な批判がされている。更には研修生からの恩情昇格が多すぎるとか、研修生制度そのものを批判している者もいる。しかし、本来、オーデションというのは、誰かを取るということを前提にしているのではなく、良い者、適切な者をを取るために催されるものだという大前提が分かっていない者が多すぎる。


 私からすれば、現在のハロプロのタレントと研修生の技量の差、研修生と今回のオーデションのメンバーの差ということを踏まえれば、この結果はむしろ、選ぶ側の、オーデション参加者のみならず、今のハロプロを見に来てくれている客に対する誠意の証だと考えている。


 番組的に言えば、誰か1名でも合格させる方が盛り上がるし、かつ、視聴率もとれるだろう。また、オタクからの今回のような批判も避けられただろう(ただし、なぜそんな子を合格させたのかという別の批判が生じていただろう)。そして事務者側も、研修生を作るためのオーデションだと批判されることもわかっていただろう。


 しかし、それらの批判を無視する方向で、合格者なしという決定をした。ここにハロプロのプライドと主体性が伺える。一部の者の批判に屈して、自分達のやり方を変えるようでは、人気投票の結果を反映させている秋元系のグループと同じになってしまうだろう。


 もちろん売れることは望ましいことだが、売れるために何でも行うというのは、ハロプロのやり方ではないだろう。ある程度売り上げがあることは企業としては前提としても、その土台を崩す方向では仕事はしないし、させないというのが、ハロプロのプライドであるはず。


  ハロプロの土台とは何か。1つ目は、礼儀正しさを含めた、職業人としての常識を持っていること(持たせていること)である。2つ目は、技量や美や精神性も含めての、それらを絶えず伸ばしていこうとする向上心を持っていること(持たせていること)である。そして3つ目が、以上の2つを意識し、行動しているタレントに対しては、誠意を尽くすということである。


 今回のオーデションの結果と少女たちの決断は、土台の2の確認でもあろう。考えてみれば、何度も不合格になり、研修生になった上で、ようやくメジャーデビューできた者が、ここ数年は圧倒的に多いわけである。年を追うごとに求められる水準が上がり、覚えるべきことが増えている以上、昔のように、オーデション合格即デビューというのは、殆ど夢物語であろう。またそれでデビューしても、基礎的な体力も技術も身についていない以上、かえってその子にとって不幸な結果になるだけであろう。


 観客に夢を持たせるべきアイドルは、そんなに簡単に出来上がるものではないという、現実を教えることこそ、今回のオーデションの目的ではなかったかと思う。そして、それでもそれを目指すのであらば、研修生という下積みが必要ということなのである。


 研修生制度を金儲けなどと考えている浅はかな者は、ハロプロのアイドルという存在をなめているとしか言いようがない。


 今回のハロプロのオーデションの結果とこぶしファクトリーの3名の脱退は、ハロプロの土台から見て、共通のやむを得ない結果だったと考える。