ハロプロDD soramiの囁き

ハロプロについて、あれこれと思いを綴ります。

アンチの構造とアンチになる理由と、その対応の仕方とは

 新グループに名前が付けられたり、ハロフェスが行われたりと、ハロヲタにとって気になることが多々ある。その中で、名前のつけられ方については、また別の機会に問題にしたいとは考えている。なんせ命名というのは、その対象に対する愛情と寿ぎが、呪術的な形で行われる行為なので、それだけ象徴的で、かつ深遠な意味を持っているので、研究対象としてはもってこいの部分があるからだ。ただ、発表されて間がなく、表面的なことばかりを、条件反射的に、書きこむ者が多いので、それと一線を画すために、時間をおいてから書く予定である。

 

 今回のブログの主題は、アンチの構造とアンチになる理由についてである。
 掲示板などを見ていると、ファンの書き込みがある一方で、殊更、情緒的に、かつ、断定的な形で、その対象を引きずり落そうとする言説が書きこまれている。とりあえず、こういう行為をアンチ行為と名付けることにする。私からすれば、嫌いならわざわざ掲示板のそのスレッドに入って書きこむ必要などない、単なる時間の無駄だと思うが、世の中には熱心にそういうことをする者が複数いる。なぜ彼ら、彼女たちはそういうことをするのか、どう対処していけばよいのか、ということについて、今回は考えてみたい。

 

 さて、ハロプロにおけるアンチの構造は、基本的に次の7パターンと考えられる。1、ハロプロ外部から来るものーA、他グループ推し、B、アンチアイドル、C、敵対者、D、愉快犯・便乗者、2、ハロプロ内部から来るものーA、別グループ推し、B、同一グループ内別推し、3、ハロプロの境界線から来るもの、である。
 これらの内、1Aと2ABは比較的わかりやすい存在である。自分の推しが、その存在がいることで日が当たらない、だから、その対象を攻撃し、足を引っ張ることで、自分の推しの鬱屈している(であろう)気持ちをを和らげてあげたい、という思いからのアンチ活動である。好きが推しを作るが、その好きが同時にアンチを生み出すという構造になっていて、結局はその好きをどこまで広げていけるかが、問題となろう。狭い好きは推し以外の存在を否定する方向に進んでしまう。好きが広がれば、その推しの関係者に対してもアンチ行為はしなくなってくる。しかし、承認欲求というのは非常に強いものだから、どうしても推しに日が当たらないと、承認欲求が満たされずに、つい、アンチ行為をしてしまう。
 ただし、この場合、日の目を見ない推しは即ち承認されない自分の投影であり、自分の不遇な状況を積極的な方向で改善するのではなく、アンチ行為で、自分の鬱屈を和らげようとしているのに過ぎない。だから、その推しにとっては、そういう存在に憑りつかれることは、大いなる迷惑にしかならない。なぜなら、その推し方自体が自己中心でしかないからである。

 

 ところで、日本人には判官びいきの心情がある。つまり、強い存在によって悲運の中で、敗退してゆく存在に対する同情心が湧きやすいのである。その強者が謙虚で、自分の勝利を運と人の支え(縁)の結果と考え、敗者を労わる対応があれば、判官びいきになりにくいが、自身の持つ能力の結果だと、その勝ちを正当化し、敗者を蔑ろにしてしまうと、判官びいきのシステムが作動して、アンチを大量に生み出してしまうことになる。もともと判官びいきになりやすい者は、日常的に不遇をかこつ者である。
 だから、けなげに頑張る弱者を応援する。そしてその弱者が成功すると喜ぶ。しかし、その弱者だった者が強者となり、自分の持っている力を正当なものとして使用するようになると、更に、応援してもらえていた過去を忘れたような振舞いをするようになると、弱者時代の応援者がアンチに回るようになることも多い。

 

 結局、日本で能力主義が普及しないのは、多くの日本人が、その人個人の能力以上に運と縁というものの力を信じ、その力に対する謙虚さを備えていない者は排除するという、対応をしているからであり、それは同時に自分に個人的な能力と努力が乏しい、だから、運も縁も来ないということを認めたくないという心情に支えられている。能力は劣っていない自分は、運と縁さえあればもっと成功できるはず、という思いがあるから、その成功している人の努力を認めずに、その人の運と縁をうらやましく思い、その運や縁というものを、言霊の力で破壊してやろうというのがアンチ行為を行う原動力である。アンチ行為はその対象を引きずり落すための合理的な行動とはいえないが、多くの日本人の共通する心情から来ているので、タレントとしては、振舞い方に気を付ける必要があろう。

 

 次に1Bのアンチアイドルというのは、アイドルという存在自体を否定的に捉える存在であり、アイドル=人々を精神的に堕落させる存在とみなし、ヲタを啓蒙するために、アンチ行為を行おうとする存在である。アイドルのことに無知であり、その批判は的外れなことも多いが、社会的には高い立場の人も多いので、一定の力は持っている。彼らは基本的には保守的な権威主義者であり、クールジャパン戦略に対しても批判的である。彼らの批判はどこからきているかというと、アイドルという存在の非合理性である。
 啓蒙主義者は基本的に合理主義者である。全ては合理的に説明されるべきものであり、そうでないものは、非科学的なものであり、排除するべきものである、という考えに基づいて行動している。彼らにとっては理こそが神であり、その神に反する存在は認めないという一神教的な教条主義に陥っている。考えてみればアイドルとは元をただせば、偶像である。そして一神教の宗教においては、偶像崇拝を認めないのが原則である。それは偶像崇拝が、一神教の神を否定する方向に進むからである。


 しかし、一方で、宗教はその根源に非合理を抱えている。信仰や崇拝は合理に基づいて行われることではない。カリスマ的存在に対する熱狂こそが、宗教の始まりである。だからこそ、秩序を破壊する危険性も備えているのである。啓蒙主義を背景に、合理主義を宗教にしたのはフランス革命において権力を握ったジャコバン派であるが、革命が合理的に進むわけもなく、ナポレオンという偶像が合理主義に飽き足らない人々により、神となり、フランス革命を国外に広げたのは歴史の事実である。アンチアイドルはジャコバン派であり、ナポレオンになりえるアイドルを否定することで、自分達の権威の維持を謀ろうとしている存在であるといえる。


 この存在に対抗するためには、アイドルが一定の水準を保つとともに、一定の年月継続することで、伝統文化的な存在になることが必要となる。そうなることで、そのアイドルは、批判の対象ではなく、彼らの研究対象に代わるのであり、研究対象は彼らにとっては飯の種でもあるので、非合理的な批判はしなくなる。最近ハロプロが高級ブランドに例えられていたが、20年間の継続により、ハロプロが文化的な存在として認められるようになってきたということの証であろう。

 

 次に3の境界線上の者とは、ハロプロの元関係者である。20年間のハロプロの経営の中で、多くの者と縁が結ばれてきたが、その中には必ずしも、本意ではない形で、関係が切られた存在も複数いるはずである。例えば、経営上の戦略から契約が切られたり、スキャンダルを引き起こしたり、あるいは単純に仕事ができなくて、くびになったりと、離れさせられた理由は様々あろう。ハロプロの経営が、どれほど温情的であっても、ビジネスは冷徹に行わざるを得ない場面も多く、1人1人の感情にこだわることはできないし、それだけの時間もない。また掲示板などで何か事ある度に触れられる、会長個人の意思で会社の戦略を大きく曲げて動くということ等、利益が継続的に生み出せているそれなりの企業では、まずありえないことである。しかし、それとは別に、個人の恨みの感情はどうしても残ってしまう。だから、そういう存在がアンチ行為をすることがよくあるし、更にこういう存在のアンチ行為は、内部の情報をリークする形で行われることも多い。だからスキャンダルなどの問題は、この関係者からのアンチ行為から始まることも多く、その分、会社にとっては、ダメージの大きなアンチ行為となる。


 この存在に対しては、経営者側が関係を打ち切る場合、機械的な対応をしないことが予防措置として大事になってくる。完全に関係を切ってしまうのではなく、何らかの関係性を残すのである。アンチ行為をすれば、自分の現実の利害問題が生じる、となれば、少なくとも脅威を与えるようなアンチ行為は防げるはずである。ハロプロの、雇っている者に対して優しいというのが、こういう形でのアンチ行為を避けるための措置であると考えると、会社の経営陣が人の恨みというものの持つ恐ろしさをよく理解し、経営に反映させていると感心する。

 

 次に1Dの愉快犯・便乗者であるが、これは日頃は無関係な者が、スキャンダラスな出来事を契機に、そのスキャンダルを更に盛り上げて、大騒ぎしたいがために、アンチ行為を行うパターンでるが、そのポイントは、相手にされると一層、行為の程度を上げるということである。基本的にこれをする存在は、常に承認欲求があるものの、肯定の形で承認されるような行為ができないので、、日常は透明人間状態であるが、何か問題を起こした者がいれば、それを非難することで、自分の存在を相手にマイナスの形で認めさせられ、結果として、承認欲求が満たされるという流れである。要するに、日常における不満を、アンチ行為で代替しようとしている存在であり、1Aや2ABとも繋がる存在であり、ネットの普及と共に、こういう存在が目立つようになってきた。
 こういう存在に対しては、相手にしないことが基本的な対応であるとともに、その反応は気にしないというのが適切である。相手を振り回すことで、自己承認してほしい者を、まともに相手をする必要はない。

 

 最後に一番の危険なアンチとして、1Cの敵対者について触れる。敵対者は会社や事務所に対して、はっきりとした利害関係に基づき、攻撃を仕掛けようとする存在であり、彼らは1Aや2ABをうまく利用しようとする存在でもある。マスメデイアを通じて、スキャンダルをリークしたり、ブログの炎上のきっかけを与えたりする際には、1A、1Dや2ABやのような浮遊層的な存在だけでなく、場合によっては、1Bや3をも自分の味方として利用して、敵対する者に打撃を与えようとする。
 ただし、同業者は徹底した敵対者にはならないと考えられる。アイドルに対しての憧れを破壊してしまう程の敵対は、自分達の仕事の否定に繋がるからであり、だからこそ、ある程度敵対的なことはしても、いつまでもしつこくアンチ行為をするほど、愚かではない。しばらく世間から忘れ去られれば、目的は達成できるからである。そういう点で同業者は1Bのアンチアイドルに対しては、共同戦線を張ったりもする。


 現代のアイドル業界は、少子高齢化の流れの中で、パイが縮小気味であり、海外に打って出るとか、高齢者を対象にするとか、経営者も従来とは異なる様々な戦略を考えていかなくてはならなくなっており、かつてのようにそんなにうまみのある商売ではなくなってきている。スキャンダルを利用しての恐喝等をしても、ヤクザのしのぎにはなりにくくなってきている。そういう点では現在は、業界内での競争はあっても、強力な敵対者が出て来るとは考えにくい。

 

 以上を踏まえると、タレントで商売をしている会社は、日常的に1A、2ABの動向を探りつつ、3を生み出さないよう対処しながら、1Dに便乗させないよう、隙を見せず、よいコンテンツの提供を行うというのが、基本的なアンチ対応ということになろうか。