ハロプロDD soramiの囁き

ハロプロについて、あれこれと思いを綴ります。

ハロプロ楽曲大賞への提言。

 毎年恒例のハロプロ楽曲大賞の投票の時期が来た。ハロプロ楽曲大賞というのは、その年に楽曲としてCD化、あるいは配信された曲を、曲そのもの、MV、そして自分の押しの歌い手の3つの観点で、ファンが投票し、その投票結果に従って順位が決まるという、ファンによるファンのための行事であり、その一年間のハロプロの作品に対するファンの評価が示されるものである。

 

 その際に、楽曲部門とMV部門という2つの部門があるわけだが、この2つに対して、皆はどういう意識で投票し分けているのか、また、どちらを基軸として評価しているのかということが、私には気になる。そしてそれらを考えるにあたっては、楽曲とMVの関係性ということが問題になってくるのであるが、この楽曲大賞を主催している側では、このことについては基本的に言及されていない。つまりは、投票する各自にその二つの関係についての解釈は任されているという状況である。ただ投票順序としては、楽曲、MV、歌い手という順序になっていることからすれば、楽曲を基軸とし、まずは、歌や曲という音楽自体を基本に評価せよ、その上で、MVという派生を評価せよというように考えているのではないかと解釈できる。
 この解釈に従えば、MVの映像は、音楽に付随する演出的なものとして、音楽と切り離して評価するべきものということになろう。つまり、MVは、総合的なエンターテイメントとしてではなく、映像部門としての限定的な評価が求められるということになろう。

 

 しかし私は、ここ数年、ハロプロ大賞に投票するようになったが、その際のMV評価の基準は、総合的なエンターテイメント性であり、音楽性とタレントのパフォーマンス、ダンスの振り付け、衣裳、場面の切り替え、更に映像効果といった演出を含む総合的なマネージメントの水準に基づいて評価しており、楽曲そのものよりもMVの方を高く評価している。
 そして私がそうしているのは、アイドルとしての魅力というのは、その音楽性やパフォーマー的存在性を土台にした、マネージメントの結果としての存在性から生まれると考えるからである。ここでいうパフォーマー的存在性とは、歌のうまさ、ダンスのうまさといった所から生まれて来るものであり、マネージメントの結果としての存在性とは、音楽性+パフォーマー性+衣裳や演出や物語性といったものから成立するものである。そして、よくいわれることは、ハロプロは、音楽性とパフォーマー性が重視されるが、マネージメント性が不足し、49系のタレントはパフォーマー性が弱いが、マネージメント性が高いということであり、互いの評価はすれ違っている。

 

 ハロプロ楽曲大賞の主催者は、楽曲のみをまず取り出すことで、純粋に音楽性を評価した上で、次にMVの映像で、パフォーマー性とマネージメント性を評価させようとしているのだろうか。しかしハロプロはライブが命というのならば、パフォーマー性の評価は、MVではなく、ライブパフォーマンスで評価するべきで、だからこそライブ映像かライブDVDの評価があっても良い。もちろんライブでもマネージメント性は抜きに考えられないが、パフォーマンスは評価しやすくなる。


 もし、このような評価の曖昧性を減らすのなら、最初から、音楽、パフォーマンス、マネージメントという三部門で、各自に部門賞を投票してもらい、その上でトータルで評価の高い作品を、楽曲大賞委員会が、大賞として選び、という形の方が、評価の統一性があり、年間作品の評価としては、より望ましいものとなるのではないだろうか。また発表もそれぞれの部門賞ごとに発表し、そして最後に対象という形で発表すれば、今以上に盛り上がるのではないだろうか。

 

 毎年のこの大賞の選定は主催者の多大な努力によって行われていることであり、その継続的な意欲と行動には、1ハロプロファンとして、多大な敬意を払っている。そしてこの投票結果が、ハロプロの将来やこの楽曲大賞の発展に、より貢献していくことを期待して、今回の提言をまとめさせていただいた。少しでも参考になれば、幸いである。

Juice=Juiceの二つのMVと今後のマネジメントについてーハロプロ20周年を超えての新しい未来のためにー

 海外ツアーの発表後、メンバーが2名増え、一方で、宮本が声が出なくなるも、その怪我の功名で、新メンバーと今までのメンバーとの一体感が高まり、その後、宮本が回復することで、海外ツアーに間に合い、地震やテロなど不測の事態もあったが、無事終了した矢先に、追加の海外ツアーとして南米の4か所を回ることが発表された。
 一方で配信が延期されていた「fiesta fiesta」のMVが、海外ツアーの映像も付け加えられたショートverとして発表され、また、「サヴァサヴァ」のMVも、フランスの映像が追加された、新しいMVとしてやはりショートverで発表された。
 本編が有料化されるとともに、ショートverが無料で発表される形は、以前に予測したとおりになったが、今回の二つのMVをどう考えるべきなのか。

 

 ヲタの間では不評のようだが、今回の二つのMVは、完全に海外向け仕様、更には初心者向けとして作られていると考えるべきだろう。そうでないと、あれほど隙間もなく、文字や映像効果を詰め込むというような、作られ方は、従来のハロプロのMVの精神とは異質すぎる。
 西洋流では空間恐怖があるため、空間を隙間なく埋めるという形で、造形が行われるというのは、ゴチック様式の教会を見ても分かる通りであるが(そういえばドイツでは、教会の前でメンバーの集合写真が撮られていたが、それは何かの象徴であったのかもしれない)、日本ではむしろ間を活かす方向で、造形が行われる。そしてその間において、受け手側が想像で、間の部分を埋めるという形で、創作が共同作業として完結するのである。そういう点で、日本の造形は、受け手の創造力次第で、膨らんだり、縮んだりもするし、受け手の参加なくしては、力を発揮しないものである。
 そういう日本人からすれば、西洋の造形は、作り手の自己主張が強く、自己完結しているために、うるさく感じたり、自由度が乏しいように思われたりするのである。だから日本のヲタクからすれば、評価できないMVということになるのである。

 

 ただし、近年のハロプロのMVは、以前に比べれば、はるかに西洋的にごちゃごちゃするようにはなってきていたのも確かである。文字を入れるのもアンジュルムの「恋ならとっくに始まっている」あたりから始まり、モーニング娘16。の「泡沫サタデーナイト」、Juiceなら「明日やろうはバカやろう」など、次々に登場し、「地団駄ダンス」では、更に映像効果も付け加わり、くどくなったのは確かである。
 こうなったのは技術の発達により、映像効果が以前に比べ、容易にかつ安価に入れられるようになった結果であろう。そしてその容易さ、安価さは、安易さにつながる。そして、入れる必要性やが必ずしもなくても、やたら映像効果を入れることにこだわり、やがては入れる目的を考えることもなく、それを入れること自体が目的化し、作り手側の自己満足に終わってしまうという流れになるのである。 そういう点では、ハロプロのMVも危うい方向へと進んでいるとも考えられる。様々な映像監督に発注しているのであろうが、もしかすると、このやたら文字を入れたりするのは特定の監督もしくは編集者なのかもしれない。いずれにしても、ハロプロのMVの表現方法や編集の推移については、いずれゆっくりと整理したいと考えている。

 

 それはともかくとして、今回のJuiceの二つのMVは、入れている文字がローマ字であり、しかも画面に対してかなり大きい、という点からして、明らかに外国人に対して、その部分を歌わせようとする、意図があると思われる。
 そしてそれは、今回のメキシコ、フランスといったラテン系の民族相手の公演での、観衆の反応として、歌への同調=一緒に歌う場面が多かったからだと考えられる。だから、今年末の南米公演の追加とこの二つのMVの編集と公開は、連動したものであるといえよう。
 ラテン系の外国人への受けを踏まえて、一気にその方向へと進んでいる流れに対して、攻める意識は必要だとは思うが、ラテン系(更には東南アジア系も含む)を意識した派手なMVは、Juiceの豊かな可能性を、一方向へとゆがめてしまう危険性があるということに対しても、スタッフが自覚的であってほしいと思う。
 彼女たちの可能性とは具体的に言えば、ラテン系ではない、アングロサクソン系のイギリスやドイツ人の反応や、日本人の年配のヲタクからの批評といったことを踏まえての、刹那的なノリではない、長い時間をかけて愛好されるような、大人の嗜好に耐え得るという方向性の開拓である。
 Juiceには「ブラックバタフライ」や「背伸び」といった、若い小娘が背伸びをしたような、大人向きの曲があり、それがメンバーの年齢の高まりと経験の深まりの中で、大人のムード音楽的な雰囲気を漂わせて歌えるようになれば、アダルトで落ち着いた紳士淑女にも評価されるのではないかと思う。そした彼女たちの実力から行けば、むしろその線を狙っていく方が、他のハロプロのグループとの差別化ができて、欧米や日本でも高い評価を受けるのではないかと思う。

 

 実はこの路線は、℃-uteが昨年発表した、「何故 人は争うんだろう?」「人生はSTEP!」「Summer Wind」の三作から顕著になった方向であり、そのまま彼女たちが、アイドルから、アダルトなグループへと進むという流れが用意されていたにも拘らず、彼女たちがアイドルとして終わることを望んだ結果、とりあえずは消え去ってしまったハロプロの一つの未来形である。そして、このとりあえずは消え去ったが、可能性としては確実に存在し、かつ、達成すべき路線は、Juiceによってこそ、達成されるべきだと考える。このグループから25歳で卒業するメンバーを出さないことが、20周年を超えた、新たなハロプロの未来を作ることに繋がることを確信している。

 

 今回のワールドツアーが彼女たちを、そういう未来へと進めてくれることを心から祈念するとともに、事務所においては、今の受けを見ての、近視眼的な対応だけで終わることなく、、彼女たちのより大きな可能性の芽を伸ばす方向での、マネージメントやプロモートをお願いしたい。


 
 なお、Juiceが開拓し、より活発化してくれるであろう未来のワールドツアーを、受け継いでいくのは、日本的でありながら国際化してきているkawaiiを体現し、かつ表現できるカントリーガールズと、アダルト路線を追求できるだけの実力を持つこぶしファクトリーではないかと考えている。

カントリー娘、カントリーガールズという不思議な存在の過去と未来

 ハロプロの中で、カントリー娘、カントリーガールズというグループ(以下カントリーグループと称す)は、きわめて特異な存在である。それは、簡単に言えば、グループとしての枠組みが緩やかであるということである。これは意図的であったか、たまたま結果としてそうなったかは、わからないが、今回の新体制については、まぎれもなく、カントリー娘時代からの歴史と、カントリーグループの特異性を意図的に利用したものであると考えることができよう。


 具体的に言えば、カントリー娘の時代においては、モーニング娘。からの派遣がしばしばあり、モーニング娘。との融合体として、歌われた曲が複数あるということである。これは元々は、カントリー娘という箱の存続のために、活動の場を保証するという意図があったと考えられる。モーニング娘。からの派遣は、その派遣された者のファンたちを当然、カントリー娘へと誘導し、その結果、一定の売り上げが保証されるからである。そしてこれは、今回の新体制におけるカントリーガールズのメンバーによる、他のグループとの兼任というのは、逆のベクトルであるが、カントリーガールズの存続を保証するという点では同じ形になっている。


 以上のように考えると、ハロプロにおいて、カントリー娘という箱は、モーニング娘。についで、維持することが絶対的に求められているグループではないか、という仮説がここで成立する。そして、この仮説の正しさをうかがわせる事実が複数ある。1つ目は、カントリー娘にはメンバーの不幸な出来事や、不祥事などが次々と起こり、人数が少なくなり、里田まい一人だけになってしまったにも拘らず、解散や卒業という形で、箱の終了が行われていないという事実である。


 そして2つ目は、殆ど活動がなくなっても、箱を終わらせるどころか、オーデションを再度し、それで合格者がなかったということで、再建をあきらめることもなく、モーニング娘。のオーデションの最終エントリーに参加した実力者を集め、更に嗣永桃子という、アイドルのプロをPMとして参加させるという、大幅な強化をした上で、再登場させている事実である。これらは、よほどカントリー娘というグループに思い入れがないとできないことであろう。そう考えれば、一度目のオーデションで合格者がなかったというのも、なかったというよりは、高いレベルの者を集めようとしていたが、それに足りる者がなかったという結果でもあろう。これはモーニング娘。13期にどうしてこの2人が選ばれたのか、というのと同じである。


 さて、カントリー娘改めカントリーガールズは、異例のことが次々起こる。マイナーを経ずにいきなりメジャーデビューをしたり、人気の中心が契約上の問題で、デビュー数か月でいなくなったかと思うと、研修生の中での実力者をすぐに参加させたり、また、病になった者を卒業はさせたが、ハロプロには留め置き、病の回復を待って、再度活動を始めさせたり、PM卒業後は、本体の維持のために、リーダー格の実力者を残す一方で、主要なグループへとメンバーを派遣し、兼任させることで、各グループを活性化させるとともにに、各グループのファンをカントリーに還元させ、存続を保証しつつ、更に万が一、本体の二人に何かがあった場合に備えての、カントリーグループ存続の種も残すという風に、過去のカントリー娘の活動の縮小の失敗を踏まえて、グループの活動が一定レベルで継続できるように、配慮されているのである。
 こういう点を考えると、多くのオタが、今回の新体制をカントリーガールズ解体として捉えていることが、いかに大きな間違いであるかがよくわかる。


 さて、経営者側のカントリーグループ存続への熱意が何に由来するかは、更に検討する必要もあるが、ハロプロ研修生北海道と稲場愛香の復帰、そして北研のリーダー的な存在となるというのは、やはり、カントリーグループ存続と大いに関係があると考えるべきだろう。


 まなかんは卒業した以上、カントリーに戻ること自体は難しいが、OGとして、研修生を鍛え、その鍛えられたメンバーが、カントリーの3期生以下続く、となっていけば、カントリーグループは、後継者養成という形でも、東京の本体研修生がカントリー以外のグループのメンバーを提供するのと対の形となろう。


 また、カントリーグループの箱としての緩やかさから考えれば、嗣永桃子ベリーズ卒業後、カントリーのPMとして参加したように、カントリーガールズが北海道に来た時だけは、真カントリーガールズとして、まなかんも参加するという形も可能だろう。私がハロプロ経営者なら、そう考える。あるいは、カントリーガールズのメンバーたちには、もうそういう話が、まなかん卒業の段階で、可能性として、言われているかもしれない。彼女たちのまなかんへの触れることの少なさは、むしろ重大な計画を隠すためではないか、そういう期待もしている。

夏のハロコンが終わっての、新体制の状況―特にカントリーガールズの5人娘の状況―について、経営者的な視点で思うこと。

 新体制に対しては、6月、7月と様々な批判があったが、ハロコンでの、カントリーの5人の各持ち場での対応力や、新しい場のメンバーの受け入れ態勢の整いにより、批判は薄れ、むしろ評価する声が高まりつつある。

 

 私自身としては、このブログで何度も書いてきたように、この新体制は、ハロプロ卒業後も面倒見がよいこの事務所の、卒業後にタレント活動を継続しない者が増えつつあるという状況を踏まえての、各メンバーの将来を見越した経営者としての配慮であるという点で、まず、評価している。
 モーニング娘。の初期の頃とは変わり、今は、カントリーのメンバーだけではなく、多くのグループのメンバー(研修生も含む)は殆ど全員が、高校での学び、高卒後の大学進学や大学での学業とタレント活動の両立の問題を抱えており(通信制に行けばよいといった問題ではない)、かつ、これは、ハロプロ卒業後の自分の将来の進路選択にも関わる大きな問題でもある。特に専門職に就きたければ、それなりの大学に進みかつ、大学でも勉強を続ける必要があるからである。
 青春時代という大事な時期をアイドルとして活動してもらう以上、その先については、各自の進路希望に配慮したいというのは、事務所の誠意であるし、又それを見せることで、タレント側も、今の仕事に責任を持って取り組もうということにもなろう。そして、特に勉学に励みたい者にも、卒業やグループ解散といった方向ではなく、アイドル活動と勉学の両立が図れる仕組みを提供したということで、今回のことは画期的であろう。
 また、せっかく今まで様々な形で手間暇をかけて育ててきたタレントが、進路の問題でやめてしまうというのは、企業経営という面から言っても、問題が多いのである。特にカントリーは、嗣永桃子によって、鍛え上げられた精鋭であり、これを解散させたり、卒業させてしまうのは、あまりにももったいないことである。
 考えてみれば、今までも、シャッフルではなく、様々なグループが、作り出されてきたが、卒業や解散公演をして、きれいに終わったものもあるが、何となく活動しなくなってしまったグループもある。そしてそのグループのメンバーの力は、他のグループに活かされることなく、失われてしまったという例も多い。
 そういう過去の失敗も踏まえて、嗣永の薫陶が最大限に意識されている、6月の終わりに、カントリーの今後の活動と新体制を発表したというのは、非常に戦略的に考えられたものと思っている。大勢の社員を抱えて、その家族に対してすら責任を持つ経営者が、一時の感情や思いで行動するわけがないということを、もっと理解しておく必要があろう。

 

 さて、私は現場に参加はせずに、映像やツイッターなどからの情報をもとに、ハロプロを楽しんでいるという、現場重視のオタからすれば、わけのわかっていない在宅、という立場である。(この現場参加のオタと在宅の対立の構図というのも良く見られるが、全く建設的ではないと思う)ただし、現場から離れている方が見えてくる面もあるということも、在宅否定主義のオタクにはわかっていてほしいとは思う。
 その手にした様々な情報を、総合的に考えた、現時点でのカントリーガールズの5人の状況について、経営者側の意図も汲みながら、示してみたい。

 

 カントリーの3人に関しては、まずは、梁川が、新曲の発表、デコだしをやめての美少女化、ゆかにゃの母性化、そしてかりんの病気休場の中での単独ライブやハロコンでの責任の増加といった流れの中で、5人体制で長く続き、一番抵抗感の有ったジュースファミリーに受け入れられるだけではなく、新たなオタをジュースに取り込むことにも成功し、7人での新しいジュースの象徴的存在となり、グループの中で独自の位置を占めつつある。そういう意味で、彼女はジュースのトリックスターとしての役割を着々と進めている。そして事務所側もその発展の動きをさらに進めるべく、2度目の武道館コンサートも発表している。今後は、海外公演、武道館に向けて、7人体制としての新しい形をどれだけ固めていけるかが問われよう。

 

 次に出てきたのは、森戸である。モーニング娘。はもともとテレビなどでの露出も多かったが、彼女がロコドルから、モーニング娘。になったという経緯は、テレビや雑誌などでも、ドラマとして取り上げやすく、ドラマ好きの多くのモーニング娘。のオタ(そもそもモーニング娘。自体が不遇からの出世というドラマを体現している存在)からも、評価されている。確かに人数的には埋没してしまいそうだが、彼女のダンスという所に焦点を当てる演出が意図的にされており(例えば歌謡祭でのジェラシーの際のダンスシーンへのカメラワークや、ハロステでの練習風景―そこにダンスのうまい石田と譜久村を助っ人に出してくるなど、森戸のダンスということを強調する演出以外何もでもない)、これからのライブでも、森戸のダンスに注目させるように仕向けている。
 モーニング娘。に関しては、今の時点では、人数から言っても、ダンスができるということが評価基準になっている。加賀や横山といった研修生を選んだのも、歌ではなく、ダンスがそれなりにできるということで選ばれた可能性が高い。歌に関しては、個人として歌えるかどうか以上に、斉唱におけるバランス(声の質としての)とリズム感を考慮して、メンバーが選ばれていることは確かである。そしてこの傾向は、グループの人数を10人以上で行くなら、しばらくは続くだろう。
 森戸の歌に関しては、緩いテンポの柔らかい曲ではまだまだ単調になるが、強めのアップテンポの曲に関しては相性も良く、それなりに声量も出せ、印象に残るような歌い方もできるので、そういう曲や場面で、飛び道具的に使われるのかなと考えている。
 
 さて、兼任組で一番最初の印象が弱かった船木であるが、彼女も写真集の販売、CMへの登場、更に横山と組んでの「ミンミンロッケンロー」の発信などで、その存在がクローズアップされてきた。ただ、梁川や森戸と比べて、グループとしての活動という面では、少なかったので、グループ内での役割がよく見えていない面があったが、音霊のライブでの「七転び八起き」において、めいめいの歌っていた一番の締めを、彼女が太くて力強い声で歌い上げていたのを見た。これで、めいめい引退後のアンジェルムに欠けていた、パワフルな芸達者(竹ちゃんもパワフルだが、低音が弱い)という役割を担うということが、はっきりと示されたと思う。私の個人的な願いとしては、できるだけ早く「新日本のすすめ」で、「八兵衛」を歌うのを聞きたい。

 

 さて、長くなってきたが、山木、小関の学業専念組の方も、ハロコンで、まことと一緒にMCをするということで、嗣永からの直伝のマイクパフォーマンスを、更に鍛えるとともに、二人のMC力のすごさや面白さ、更にはMCという面の重要性についても、各グループの構成メンバーに意識付けることができたと考える。
 歌やダンスは大事だが、ライブはそれだけではなく、流れを見通したMCというのはとても大事であり、その第一人者であった嗣永が引退した以上は、それができる者を増やしていく必要があり、この二人は特に白羽の矢が立てられたということになろう。そしてこれは同時に、MCがうまくなるには、取材が必要であるし、様々な情報を仕入れる必要があり、それらはすべて学業とも関わってくることである。つまりは、事務所としては、学業優先で行く者については、MCやライブ全体の構成などの企画力を高めることを期待しているということであり、今回の二人の抜擢はそういうメッセージを出しているということでもある。二人は今回のハロコンでの体験を踏まえて、次の冬のハロコンではさらに上達したMCを見せてくれるのではないかと思うし、さらには、彼女たちの企画したコーナーなども作られるのではないかと考えている。

 

 今後のこの5人の活動を、楽しみにしながら見ていきたい。

新体制から見える、ハロプロ経営陣の考えている今後の戦略

 今年がモーニング娘。20周年、来年がハロプロ20周年ということだが、モーニング娘。20周年については、特別なことをするという感じが今はないが、来年の20周年ということに関しては、1つの区切りであるとともに、ハロプロ新体制の構築ということで、次の20年の継続のための戦略を、今年から打ち出しているというべきだろう。


 20年間の歴史の中で、ベリーキューのキッズたちは約15年間関わってきていて、ある意味ハロプロの歴史を体現してきたと言えよう。だからベリーズの無期限の活動停止、キュートの卒業、そして嗣永桃子の卒業兼芸能界引退というのは、ハロプロの今までの歴史の積み重ねを体現してきた存在が全て消えたということである。
 もちろん、彼女たちは研修生の帯同や、活動停止後のつばきファクトリーへの指導、カントリーガールズのPMという形で、後輩たちに、その歴史や心構えを、言葉だけではなく、行動でも伝えてきた。
 しかし、今年の6月をもって、彼女たちが直接的な影響を与えられるという状況は、ほぼ失われてしまった。


 さて、そういうことを踏まえての、ハロプロ新体制であるが、この意図は、従来の在り方を、時代の状況と未来を踏まえて変えることで、従来の各グループ内で固定化さている多くのハロプロヲタの意識や行動の破壊と再構築を目指したものであると考えている。以下、具体的な例を挙げつつ、考察してみる。
 今回の新体制はハード面とソフト面の双方の改革があると考える。


 ハード面では、CDではなく、配信という形を、今後は中心にしていこうとするという改革である。これはある意味、現代の時代状況に合わせての改革であり、レコードやCDというアナログ的なものの発信から、音楽情報というデジタルの発信を中心とするという変革である。もちろんこれは、AKBグループによる、音楽CDの売り上げ数の示す音楽的な価値の破壊という状況を踏まえての、脱CDであるとともに、CD販売促進のイベント参加に伴う練習不足や心身の負担を軽減するという目的もあるはず。更には新しい形で音楽の発信を行うとともに従来の発信の仕方も変えるということになる。
 今は発表されていないが、おそらく来年にかけて、MVなどの配信に関しては、無料のショートVerは宣伝として提供する一方で、完成版は有料にして提供するのではないかと考える。私個人としては、CDはライブver限定として販売してくれれば、MVと配信とCDを全て買うのではないかと考える。


 ソフト面では、これまで行われてこなかったグループ間の兼任という形で、各グループの垣根を壊す改革である。そしてこれは、そのグループヲタという、グループを時間的、空間的に固定することで作り出されてきた、閉鎖的な存在を、再構成しようとする意図もある。
 そして実際、モーニング娘。アンジュルム、juice=juiceの3つのグループには、今までにはいなかった層が、関心を持ち出し始めている。こういう流動性がなければ、新規のファンを呼びこむとともに、旧来のヲタにハロプロの他のグループの良さを知らしめることはできなかったと考える。要するに特定のグループヲタをハロプロDDに変えていくために今回の新体制が作られたという面があったということである。
 そしてこの動きは、今年から来年以降も更に続くのではないかと考える。つばきは別として、他のグループ間で、兼任が数名出て来てもおかしくはない。ただしこれはカントリーの3名の結果次第の面もあろう。彼女たちは、未来の先取りの存在として、一番に動かされたのである。


 ところで、この新体制を否定的に捉える者もいる。その理由は各グループの固有性、個性がなくなるというものである。あるいは兼任者の心身の負担、あるいは、そのグループの従来のメンバーと兼任者の関係性が混乱するのではないかという心配もある。しかし、グループの個性に関しては、それらの新しいメンバを加えて新しい形を作っていこうとすればよいだけのことで、個性を今まで通りのまま固定化させようとするのは、ヲタの流動への対応力のなさとハロメンに対する信頼不足であろう。心身の負担に関しては、今回のモデルケースを踏まえて、どの程度のレベルで兼任させるか、誰を兼任させるかという適性も踏まえて検討されよう。関係性については、兼任が通常化すれば、混乱は生じなくなるだろう。


 いずれにしても、今後20年、ハロプロを継続させてゆくという、経営者からの強い意志が示されたのが、この新体制の発表だったと思う。批判されることは予測できていたはずだし、この結果としてヲタが減ることも織り込み済みというか、それで外れてゆくヲタなら、次の20年間は支えてもらえないという見切りもあろう。何を最優先にするかー今やこれからのメンバーの活動を支え、会社の業績を維持し続けることーということを考えた結果としての行動であろう。


 最後に、一岡の新グループは来年メジャーデビューで、今年の下四半期にマイナーデビューさせるのではないかと考えられる。一岡がリーダーというのは確定しているが、もしかすると誰かOGを、カントリーの嗣永のように、時限の決まったPM的な存在として、投入する可能性がある。カントリーはPM導入に関しては、よいモデルケースになったはずである。PMになりえる可能性としてはキュートの鈴木かな。そしてメンバーは、今の研修生2,3名と、今度のオーデション合格者で、PM込みで最大6名という所か。


 今回の新体制の意図を、経営戦略の方向からそれなりに考察した意見を見たことがないので、以上色々と書き連ねたが、とりあえず、juice=juiceに関しては、スタートダッシュがうまくいっていると思う。経営陣の人選の適切さとタイミングと曲の良さが一体化するとどうなるのか、という好例だ。

私が嗣永桃子さんを知ったきっかけ

 前回、私がハロプロのアイドルに興味を持ったきっかけが、℃-uteの「江戸の手毬唄Ⅱ」であったという話をしました。


 でも、これで℃-uteハロプロの他のアイドルにはまったかというと、そんなことは無く、というか、当時は、アイドルというものを軽く考えていたので、こういうのもありだなという程度でした。

 

 私がハロプロDDになる大きな契機となったのは、BuonoのあるPVを見たからです。それは彼女たちのデビュー曲でもある、「ホントのじぶん」の本編とダンスverでした。


 先に出逢ったのは本編でしたが、この時は歌や歌詞がいいなというのと、3人組の中の1人って、キュートの中の一人によく似ているなあ、ということで、それが鈴木愛理さんだと知ったのは、もう少し先です。

 

 私が本当に驚いたのは、たまたま、これにはダンスverもあるということを、ようつべを見ていて気づいて、それを見た時のことです。
 体育館の中で三人が歌を歌いつつ踊っているだけのPVでしたが、その中の一人に思わず注目してしまいました。

 

 身長は一番低いけど、ダンスに全身を使った躍動感があって、いかにも心からこの曲を歌い踊ることを楽しんでいるという様子が見えました。小さな体なのにこんなパワーというか生命力を秘めているのか、と感心しました。

 

 このダンスverをダウンロードするために、慣れないコンピュータの色々なソフトについて勉強も始めました。そして、何度も何度もPVを見ました。

 

 これが私が嗣永桃子さんを知ったきっかけであり、ハロプロDDになりはじめたきっかけです。

 

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江戸の手毬歌Ⅱーファンの評価と世間の評価のずれー

「℃-uteのメジャー6枚目(通算10枚目)のシングル。2008年7月30日に発売された」とWIKIに書いてあるが、

 今の時点において、この曲が℃-uteの歌の中でどういう評価をされているのか、その参考になるのは、℃-uteがシングル曲の全曲披露を行ったコンサートで、この曲だけ1番すら完全に歌ってもらえなかった、という扱いである。

 確かにこの歌と「暑中お見舞い申し上げます」の2曲のみ、カバー曲であり、オリジナルではないので、ファンの視点から言えば、評価が低くなるのはやむを得ない。

 

 しか、一方で、2012年の「神聖なるアルバム」では、愛理のソロで、ロック風にアレンジされた形で再録されており、わざわざ撮り直しをされた数曲のうちの1つであるという点で、プロダクション側としては、それなりの思い入れのある曲であることは確かであろう。

 実際この曲は、五木ひろしという同じプロダクションの中での大御所の曲ー本来は演歌ーを、つんくがわざわざ依頼して、カバーさせてもらった曲でもあるという、非常に異色な面を持っているのである。

 更に、この曲は作詞大賞やレコード大賞という権威ある賞において、優秀曲として評価されており、ファンと世間の評価が大きくずれている曲の最たるものだと思う。

 

 私がこの曲において高く評価している点は3つある。

 1つ目は歌詞である。吉岡治の作詞であるが、江戸の名物、江戸時代の故事を数え歌として、リズムよく並べており、現代の子供たちの遊びの中で、消えかかっている手毬や手毬唄を、蘇らせようとする、文化的かつ教育的な意図が込められており、

小学校の総合的な学習の時間において、実際に昔の手毬歌と共にこの歌を教えて、手毬唄や手毬唄遊びを継承していくべきだと考える。

 

 2つ目はリズムである。WIKIにも書いてある通り、「現代風にアレンジしたブギウギ風の曲として」昔ながらの手毬歌のリズムを生かしつつも、現代風のしゃれた感じも含まれており、不易流行が意識されている。

 

 3つ目はダンスである。ダンスには歌舞伎や日本舞踊的な所作が多く取り込まれていて、通常のアイドル曲のダンスとは大きく異なっている。和洋折衷というか、こういう難しいダンスを可能にしたのは、彼女たちの高いダンス能力であろう。この和洋折衷さは衣装にも表れている。

 

 以上から私は、この曲に、日本と西洋、前近代と現代、をコラボさせ、新しい文化を創り出そうとする、プロデューサーとしての、つんくの意欲的な挑戦心と遊び心を感じる。

 

 ちなみに、私がハロプロDDとなる、一番最初のきっかけとなったのは、この曲のMVを、古典の授業で使う材料を探している際に偶然、見つけたことである。この曲によって、私のアイドルの音楽への評価は大きく変わった。

 

 本格的にハロプロにはまったのは、第2、第3のきっかけのせいであるが、この「江戸の手毬唄Ⅱ」こそ、私をハロプロに誘導してくれた、印象深い曲である。

 

歌詞と動画は以下で参照できます。

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